『確率思考の戦略論』について

はじめに

『確率思考の戦略論』（森岡毅著）は、マーケティングやビジネス戦略の分野において革新的な視点を提示しています。本書では、戦略を「選ばれる確率を上げる営み」と定義し、その確率を高めるための鍵として、人間の「本能」に根ざしたアプローチを強調しています。これは、従来のデータ主導型マーケティングに対し、より人間的で直感に訴える方法論である点において、非常に興味深いものです。

この記事では、「本能」という視点に焦点を当てながら、『確率思考の戦略論』の要点をわかりやすく解説し、マーケティングを学ぶ学生や若手ビジネスパーソンにとって実践的なヒントとなる内容を整理していきます。

購買行動の背景にある「本能」

私たちが日々行う「商品を選ぶ」「サービスを利用する」といった行動は、一見すると理性的な意思決定のように思えます。しかし、その背後には「目立ちたい」「安心したい」「癒されたい」「誰かとつながりたい」といった、本能的な感情や欲求が深く関わっています。これらは進化の過程で人間が獲得してきた、生存や繁栄に関わる基本的な心理です。

森岡氏は、こうした本能を無視した戦略は消費者の心に響かず、売上にもつながらないと警告します。むしろ、本能に訴えかける商品やブランドは、選ばれる確率が格段に高まるのです。マーケティングを論理や数字だけで考えるのではなく、感情や人間らしさを含めた全体的な設計が必要であるという提言は、多くの企業にとって示唆に富んでいます。

「コンセプト」とは感情に届く設計図

本書で語られる「コンセプト」とは、単なる商品説明ではなく、「誰に、どんな価値を届けるのか」を本能に訴える形で明文化したものです。これはマーケティング戦略の中核を成す考え方です。

たとえば、「おいしいコーヒー」ではなく、「疲れた心と身体に寄り添う、ほっと一息つけるコーヒー」といった表現の方が、情緒的な価値を伝えることができます。このように、コンセプトが消費者の無意識の欲求に刺されば、ブランドは記憶に強く残り、選ばれる確率が高まるのです。

森岡氏は、HOW（どのように）を考える前に、WHO（誰に）とWHAT（何を）を本能に根ざして定義することが重要だと繰り返し説いています。この順序を守ることで、商品は単なる「モノ」から、「人の感情に応える体験」へと昇華されます。

ターゲティング戦略の再考：広い訴求がカギ

従来のマーケティングでは、消費者を細かく分類し、それぞれに最適なメッセージを届ける「セグメンテーション戦略」が重視されてきました。しかし森岡氏は、このアプローチが過度になると、ターゲットが狭まりすぎて市場全体への影響力が落ち、売上のチャンスを逃すリスクが高まると指摘します。

人間の本能は基本的に共通しています。したがって、「人は何に反応しやすいのか」「どんな欲求を共有しているのか」という視点から設計されたメッセージは、多くの人に響く可能性があります。広いターゲティングは、「一人のための商品」ではなく、「多くの人の心に届く商品」を目指す発想の転換でもあるのです。

戦略の中核「重心」とは何か

マーケティング戦略において最も重要なのは、複数の施策を並列で展開するのではなく、最も効果の高い一点にリソースを集中させることです。これが本書における「重心」という概念です。

重心とは、すべての制約条件（予算・時間・人材）を踏まえた上で、最大のインパクトをもたらす行動の中心点です。この重心を見つけ出し、そこに集中投資することが、戦略の実効性を高める鍵となります。そして、その重心が「人間の本能に訴えかけるポイント」であることが、戦略成功の前提となるのです。

戦略とは「選ばれる確率を最大化する仕組みづくり」であり、重心の選定はその設計の中核をなします。

感情と論理の両立：「数字に熱を込める」思考

マーケティングでは、データ分析や数字による論理的な判断が欠かせません。しかし、数字だけでは人の心は動きません。森岡氏は「数字に熱を込めよ」と述べ、データに情熱や信念を乗せることの重要性を説いています。

これは、冷静なロジックと熱いパッションを両立させるマーケターの在り方を示しています。リーダーや担当者が「なぜこの商品を届けたいのか」を語るとき、その情熱が本能に訴え、結果としてブランドへの好意や信頼感が高まります。

プレファレンス（好意度）を高めるには、単なる機能や価格以上の「好きだ」と思わせる力が必要です。その力は、データや数字だけではなく、人間の「感情」に根ざしているのです。

まとめ

『確率思考の戦略論』は、マーケティングを「人間理解」に立脚した学問として再定義しています。売上を伸ばすとは、消費者に「選ばれる確率」を高めること。その確率は、理性よりもむしろ本能に支えられているのです。

マーケティングの本質は、「誰に、どんな本能的価値を届けるのか？」という問いから始まります。それを見極めた上で、戦略・施策・メッセージを組み立てていくことが、真に効果的なマーケティングにつながります。

理性だけでなく感情に、データだけでなく本能に向き合うこと。 それこそが、現代のマーケターに求められる思考であり、これからの時代を切り拓く鍵となるのです。